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★活動写真館風景

■上映作品

当時の活動写真館は、映画会社の直営か、もしくは、配給系列が厳然と決められていた為、上映される映画の系統も自ずと決まっていた。

■弁士

弁士席の位置は舞台下手。これは字幕を読む見易さから、このように決まっていた。 一つの活動写真館には、数人の弁士が所属していて、一番下っ端の見習い弁士がプログラムの最初に登場し、ニュースや漫画等の短篇を担当、以後ランク順に登場し、一番偉い主任弁士となるとメインの作品のクライマックスだけを喋っていた。一時間以上の長篇作品を一人の弁士が全篇語るということは、特別なイベントの時以外にはなく、通常は二人ないし三人の弁士が、前、中、後篇と分担した語っていた。 「前説」と称し、弁士は上映開始前に舞台中央で挨拶や作品の解説を行っていたが、無声映画晩期になると前説は行われなくなり、場内が暗くなると弁士席後ろのカーテンの間からそっと登場し、映画が終ると場内が明るくなる前に退場するというスタイルが定着した。これは、弁士の存在を感じさせない語り、すなわち、現代のトーキー映画の様にスクリーンから声が出ている様に感じさせる弁士が上手な弁士と言われていたからである。

■行燈(あんどん)

弁士の名と上映作品名を表示する。中に電球が仕掛けられており、上映中の暗闇でもわかるようになっている。

■楽団

活動写真館には数名の楽士による専属の楽団がいた。館によって楽器の構成や人数の違いはあったが、ピアノ、ヴァイオリン、トランペット等の洋楽器と太鼓、三味線などの和楽器で、和洋楽団のアンサンブルを構成していたというのが、無声映画期における伴奏音楽の特徴である。何の曲を伴奏に使うかは、楽長の裁量で決まっていた。

オーケストラ・ボックスから楽士が出ていく様子が、仁丹の箱から仁丹を取り出す様子に似ていたので、楽団の事を“ジンタ”とも呼んでいた。

高級な館では、幕間にクラシック曲を演奏し、観客はミニコンサートを楽しんでいた。

■客席

1917年8月に警視庁が公布した「活動写真取締規則」によって、客席は男席、女席、同伴席に分けられるようになった。未婚の若い男女が一緒に映画を見ることは出来なかった。

■中売り

「エー、おせんにキャラメル、ラムネに落花生はいかがー」の声と共に、休憩時間には中売りが行われていた。背負具の中には、せいべい、キャラメル、アンパン、ラムネ、のしいか、牛乳等が定番の商品で、この他、夏にはアイスクリーム(アイスクリンと呼んだ)、冬に落花生やミカンが加わった。

■臨検席

客席の後方には臨検席が設置されていた。弁士が思想的に問題となる発言をしていないか、男女別席が守られているか、風紀が乱れていないかといった事柄を、警察官が目を光らせてチェックしていた。問題があると、「弁士、待った!」と言って映写を止めることも度々あった


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