MATSUDA: Nen-Pyo (Japanese)
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「大楠公夫人」より
楠公父子 桜井の訣別

 

スタッフ
キャスト

(解説)
まだ本名の正唯を名乗っているマキノ正博十三歳の出演作品であり、現存する出演作品としては最も古い作品の一つである。正博は名門の京都市立第一商業学校に入学したばかりであったが、度々撮影に狩り出されて満足に学校へ通えず、映画出演していることが学校に知れて退学騒ぎを起こしたが何とか許された。第一商業で正博は小さい体ながらラクビー部に入って活躍しており、後輩には山中貞雄がいる。

日活撮影所々長を尾上松之助に譲り辞職したマキノ省三が、等持院境内にマキノ教育映画製作所を創設し、本作が四本目。理想を追求する製作方針により、時代考証も厳格に行なっている。

大正活映の解散によりマキノ教育映画へ移ったメンバーの一人で、後の名監督内田吐夢が主役の正成役で出演しているのも興味深い。

(略筋)
時は建武の世。足利尊氏が十萬の大軍を率いて九州より攻め上がって来ると、楠正成は義貞等と協力して挟撃しようと建言したが、兵事を弁じえぬ坊門宰相忠清等に妨げられた。そこで、討死を覚悟した正成は、千早の城にある妻子の元へ使を送った。息子正行(庄五郎)は父上の手紙を受け取ると、母上に出陣の許しを願ったが、父の御心を察し、志を継ぐ者として出陣は許されなかった。そのかわり、父の討死の門出に吾子をお暇乞に行かせたのだった。喜んで出立する正行の後姿を、夫人は熱い泪を浮かべて見送った。だが、こうした中にも、民を肥やし、国を富ますは女の勤めであり、兵を強くする基であると夫人は野党の妻や子を集めて蚕業や機業に勤しんだ。やがて楠公父子は、桜井の駅にて二代の礎を茲に固めた今生の訣別を迎えるのであった。


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